ネガティヴな私が 完璧主義ママを助けたいと 助産師セラピストになった理由③






こんにちは


頑張り屋さんで完璧主義なママのサポーター

助産師セラピストのMamiです❤︎



本日で3日目になります💦

暗い話が続くので、そんな話を

読みたくないという方はココで

記事を閉じていただいたほうが

いいと思います。



では、本日も早速、行ってみたいと

思います😌



幼稚園時代にネガティヴに目覚めてしまった

私ですが、この頃から既に周りを気にして

本音が言えない状態でした💦



例えば…

オペレッタの配役を決める時のお話です。

皆はやりたい役に積極的に手を挙げるのに


私はというと…


私がウサギの🐰役をやりたいって言ったら

皆は変だって思うかな? 

どうしよう⁉︎



と考えて中々、手を挙げられずに

いました😢


カラダが大きく、ポッチャリな私は、

可愛い動物の役をやってはいけないんだ

と思っている部分もあったと思います。



でもね、今と同じで可愛いモノや動物が

好きで諦め切れない私がいました。



年長さんの時の担任の先生はそんな私の

様子に気づいて下さって、ウサギ役🐰で

オペレッタに出られるようにして下さった

んですよね☺️



私もウサギ役をやっていいんだ✨


と、とても嬉しかったのですが、

その成功体験のエピソードだけでは

私のネガティヴが変わることは

ありませんでした。



その後も母に好かれないダメな私🙅‍♀️


という思いのまま過ごしていたのですが、

とある嬉しいニュースが飛び込んできてからは

毎日が少し楽しくなったのを覚えています。



その嬉しいニュースとは



私に妹か弟が出来る✨

お姉ちゃんになれる✨✨



というものでした。


ずっと、ずっと‼︎欲しかったキョウダイが

出来るなんて‼︎



私でもキョウダイが持てるんだ✨


と本当に本当に嬉しかった☺️



母との溝に悩んでいた私にとって

これから産まれてくるキョウダイが

何よりの拠り所だったんですね。



絶対に仲良くしたい‼︎

絶対に良いお姉ちゃんになるんだ‼︎


って意気込んでいました。


 
でも、その決意の中には歪んだ思いが

ありました。



私は母には嫌われてしまったけど、

いつか自分がお母さんになる時は

絶対に女の子のお母さんになって

その子と仲良し母娘になるんだ✨


と思っていました。


だから、今回産まれるキョウダイも

きっと女の子で、素敵ないお母さんに

なるための練習の機会になるに違いないと

思う私がいたのも事実です。



産まれてくる命は尊いモノで練習とか

代わりとか、そんな風に思ってイイ

はずは無い💦



でも、当時の私は兎に角必死で

妹が産まれてくると信じて疑って

いなかったし、妹が産まれたら

髪の毛結んでって頼まれるかも

しれないから、お人形さんで練習

しようとか、


女の子が産まれる程で私は動いて

いたんですよね😅



小学校1年生の夏休み

念願のキョウダイ誕生✨となる

わけですが…


生まれたのは何と男の子👦

想像していなかった事態に

とても驚いたのを覚えていますが、



一緒に過ごすうちに…


男の子ならではの可愛さ💕や魅力✨に

引き込まれていって歪んだ思いはなくなった

かのように思っていました。



それからは毎日が楽しくて、楽しくて💖

どんどん成長して出来ることが増えていく✨

そんな弟が本当に本当に可愛くて💕



私には弟がいるから頑張れる‼︎と思うように

なったんだと思っています。



弟からは母から受けるような怒りの感情は

感じないし、祖母のようなイジワルな感情

も感じない…何より、私を純粋な気持ちで

慕ってくれる。



弟といる時間が凄くリラックスできる

空間になっていました。



7歳のあの夏に弟が産まれていなければ

この後、私は確実にグレていたと本気で

思っています。




だって、母からは


お母さんは赤ちゃんが産まれたら

赤ちゃんに手がかかり切りになるよ

あんたのことはあんまりやってあげ

られないよ。



髪の毛も自分で結ぶことが出来ないなら

お母さんは髪を結う時間何でないから

切ってしまいなさい。


と言われていたんです。


そして、極め付けは毎年、夏休みに

遊びに行っている母方実家で過ごした

時に起こりました。



小学2年生の夏休みのことでした。


母が母方祖母にこう言っていたんです



娘が、義母の味方をしている

義母と一緒に私の悪口を言っている


と話していました。



私は一切、そんな事はしていないのに…

弟の面倒だってみていて、宿題だって

時間割だって母に何かを言われる前に

気を使ってやるようにしている…



母に報告していたのは

自分は悪くないと否定して

欲しかっただけなのに…



この時、私の中で何かがプツンと

切れたのを感じました。



母の発言について母方祖母から

聞かれることはなかったけど、

母の中で私は母の敵なんだな

と思ったら、やるせ無かった😢



私の思いを聞いてくれもせずに

敵扱いをしている…



母のことを許せないと感じる

ようになっていました。



この時から私の味方は弟だけだと

思うようになりました。



だって、何の裏もなく、

ただ、私のことを好きだと

全身で表現してくれるのは

弟だけだったんです。



母は私のことが嫌いだから歩み

よろうともしてくれない…



私だって母の言うことなんて

聞いたりするもんか‼︎



そう思ってからは母に対して

反抗的な態度をとるようになりました。



随分、汚い言葉も使ったと思います。


でも、私も限界でした。


小学校3年生まではひたすら、反抗

し続けていました。



でも、とあることをきっかけに母との

関係性が変化をしていくことになるの

ですが、それはまた次の記事でお話したいと

思います。



次回からほんの少し明るくなるかも

しれませんがネガティヴな時の私の

話なので、やっぱり暗めなお話に

なると思います😅



毎日、こんな感じだと重すぎかな

とも思うので違う記事も挟んでいく

かもしれません。



でも、きちんと助産師セラピストに

なると決めるところまでは書ききり

たい‼︎


気長にお付き合いいただければと

思います。




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Fleur

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